会社を辞めてプログラミングを始めた、本当の理由【私の脱サラ奮闘記】

ビジネスと資産形成

「デュアルライフを実現したい」

「子どもたちにはグローバルな教育環境を与えたい」

この夢を語るとき、多くの人は「ご主人の協力が不可欠ですよね」と言います。もちろん、夫のサポートはあります。生活費の一部は夫が担ってくれています。

でも、はっきりと言わせてください。

デュアルマム
デュアルマム

この「教育とビジネスのデュアルライフ」のプロジェクト、メインの資金源を担うのは、私自身です。

私は会社を辞め、キャリアを一旦リセットしました。そして、40代にしてプログラミング学習という全く新しい分野に飛び込みました。今日は、なぜ私が、夫に頼ることなく、「たった一人」でこの道を選んだのか。その裏にある、わが家特有の事情と、私の「覚悟」について正直に綴りたいと思います。

チーム戦から始まった、わが家の役割分担

「私が」未来を背負う理由と、夫が支える「家庭」

読者の皆さんの中には、「夫の脱サラ」はよく聞くけれど、「妻の脱サラ」は珍しいと感じる方もいるかもしれません。

わが家の夫婦のあり方を振り返ると、少し特殊かもしれません。結婚以来18年間、私は常に夫より高い年収を得てきました。私たちが「格差婚」だったと表現するのは、金銭的な役割分担が理由です。

20代から40代になるまで、私の年収は800万→1200万→1800万と伸び続け、夫の年収を常に上回ってきました。だからこそ、わが家では「家庭」と「未来」に対する役割分担が明確です。

役割担当者具体的な内容
家庭
運営
掃除、片付け、洗濯、食器洗い、ゴミ捨てなど、日々の家事全般。週末の食事作り。長男が1歳から3歳までの早朝送迎・お迎えなど、私が仕事に集中するために100%サポート。その後も半々でサポート継続。
未来への投資子どもたちの学費(月14万〜40万)、家の修繕費、マイカー購入費、老後資金、旅行費など、未来のための費用を全て貯金・負担。

夫は現在、収入も1,000万円以上ありますが、今も変わらず、家庭の基盤を献身的に守ってくれています。私がビジネスパーソンとして走り続けられたのは、この夫の存在という最強のパートナーシップがあったからです。

しかし、二拠点生活という大きな夢の実現、そして教育移住のメイン費用である学費や現地での生活費、教育費 準備は、私が稼いで用意する。誰かに、ましてや夫の昇進や転職に「家族の未来」を委ねたくない。「私が切り開きたい」という強い決意が、今回の脱サラとキャリアチェンジの根本にあります。

40代で新しい「武器」を掴む覚悟と、拭えない不安

漠然とした不安を「自信」で打ち消す

会社を辞め、自分で稼ぐ方法を模索する中で、私が選んだのが「プログラミング」でした。海外でも在宅でも、場所を選ばずに働けるスキル。デュアルライフ後のキャリアを見据えた、最も合理的な「武器」です。

しかし、不安も大きかった。

「プログラミング 学習 40代で間に合うのか?」

「ITリテラシーはスプレッドシートやExcelのマクロが多少使える程度。本当にコーディング言語を習得できるのか?」

新しいことを始める際の不安は尽きません。入学したスクールからも「24週間の内容はハードで、覚悟がないと身にならない」と釘を刺されました。

それでも、私には根拠のない「自信」がありました。なぜなら、これまでのキャリアで経営側を経験し、現場だけではない、事業全体を見渡す視点を培ってきたからです。浅い知識だけで判断するのではなく、「自分であれば、このプログラミングというスキルを、人と違う目線で生かせるはずだ」と信じられたのです。

85万円の授業料とMBAの経験が、私を挫折から救った

「たった半年」と割り切る心の仕組み

学習は順調な部分と、そうでない部分がありました。

コーディング自体は思いのほか楽しかったのですが、正直に言うと、Photoshopでの画像の加工や、WEBデザインの「センス」を問われる部分には苦手意識を感じました。

しかし、挫折はありませんでした。私を突き動かしたのは、あまりにも明快な理由です。

  • 85万円という大金を自己投資したこと。
  • 卒業してスキルを身につけ、さらに国から給付金で40万円を必ず獲得するというミッション。

「これを達成するまでの24週間(半年)だ」と割り切りました。

正直なところ、以前通ったMBAの大学院大学での2年半に比べたら、たった半年間の頑張りなど大したことではありません。あの過酷な日々を乗り越えた私にとって、この学習期間は「新しいスキルを得るための必要経費」に過ぎません。

「成功するタイプ」と信じてくれる家族の存在

失った「ビジネスパーソン」の地位と、手に入れた「ママの役割」

私の挑戦に対する家族の反応は、大きな心の支えになっています。

夫は「やりたいことや目標が常にあって羨ましい」「最終的には成功するタイプだと思う」と、揺るぎない信頼を寄せてくれています。彼が生活の基盤を支えてくれるからこそ、私は安心して新しい分野に集中できます。

長男は「ママがやると決めたら必ず叶う」と信じています。そして、まだ小さい次男は、私が在宅になったことが単純に嬉しいようです。

「ママ、仕事は?家にいて大丈夫?」と心配していた日々から一転、「ママのごはんが一番おいしいから、毎日食べられるのがうれしい」と言ってくれるようになりました。

脱サラ前は、週に一度しか夕食を作れず、帰宅時には子どもたちが寝ていることも多かった。私はずっとビジネスパーソンであって、ママとしての役割を捨ててきたのかもしれません。

今は違います。今はママをやれています。

安定を捨てて手に入れた、私だけの「ママの役割」

「もったいない」—脱サラした私に、周りの人はそう言います。

長年築いた地位も、お金も、安定したキャリアを自ら手放した。それは本当に怖かった。宣言していた40歳より少し遅れ、41歳になる直前での脱サラでした。

今、一時的に稼ぎは減りましたが、手に入れたものは計り知れません。

  • 自分の時間の確保
  • 2拠点生活のためのキャリアチェンジの時間
  • やりたかったこと(KLへの下準備旅行、クルーズ旅行、毎週のパーソナルトレーニング、ママ友とのランチやお茶など)
  • 子どもの習い事の送迎と同伴

私が選んだのは、地位やお金といった「誰かに評価される安定」ではなく、家族のために自分の時間を使う「自分でコントロールできる幸せ」です。

これが正解かは、まだわかりません。これから成功すればいいと思っています。

もし今、「夫に頼らず、自分の力だけで家族を幸せにしたい」「子育て中でも、自分のキャリアを諦めたくない」と悩む方がいるのなら、私から伝えたいメッセージは一つです。

「不安を抱えたままでいい。でも、自分の人生を誰かに預けるのではなく、自分で選択し、自分で切り開く勇気を持とう。」

女性 フリーランスとしての私の挑戦は、まだ始まったばかりです。次回は、このプログラミングスキルをどう生かし、屋号を取得して初めて仕事を取った時の話をお届けします。

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